2011年3月4日金曜日

中国の思想Ⅶ 易経


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著書名 中国の思想Ⅶ 易経
著者 丸山松幸 訳
出版社 徳間書店
発表年 1996年



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著者略歴

購入日 小平図書館
きっかけ 小平図書館
目的 易経
目標 繋辞伝

目次
繋辞伝

対立と統一の原理
易は天地人の道を示す
易は天地と一致する
易の弁証法
易の広大さ
易の言葉は人生の指針である
占筮の原理
聖人の四つの道
易の効用
扉の比喩
易の根源
易書と聖人の心
対立なければ運動なし
道・器・変・通


不変の原理
易の卦象と文物制度
陽卦と陰卦
易の言葉と含蓄
易の言葉
易卦と修徳
易書の本質
易の吉凶
言葉は心の表れである





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象学・運命の構造




著書名 象学・運命の構造
著者 長 武寛
出版社 河出出版社
発表年 1987年

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著者略歴 
大正6年1月11日、福岡市に生まれる。
象学および心学(輪廻天生)の研究に専念。

購入日 小平図書館
きっかけ 易経
目的 中国の古典思想を知る
目標 基礎知識の収集

目次
第1部 象学の沿革
第2部 象学の基礎
第3部 象学の本質と実際


個人を貫き、地球を支配し、全宇宙をも動かす動因は果たしてなんであろうか。象学とはまさしくこの理法を解明する学問であり、数千年の永きにわたって東洋に培われ、そして古代以来、日本においても連綿として伝承されてきた究極の思惟様式なのである。

人間・世界・宇宙の本質が「時・時間」であると観ずることは、「象学」も「時・時間」によって支配されていることを自覚することである。

混沌からの秩序。オートポイエシス。自己組織化。

人の運命・運勢は時の流れとともに推移し変転する。その変化の契機と時の流れの裡に把み取ること、それが好ましい変化をもたらす。

東洋における古代からの叡智を結晶化した「象学」を学ぶ時、人は真の幸福とはなにかを知り、またそこに至る契機を見出すであろう。

象学は本来、「霊」の問題と相俟って完成するものであるが、取り敢えず「象学」の原論ともいうべき本書を上梓する。

読書はここに、「象学」という学問の基礎を知る手がかりを見出すであろう。



「象」とは、内面本質を示す外面の徴、つまり<自然の意味象徴>。
般若心境の諸法空想の<相>
維摩経の<相は無相をもって相となす〉

象界から来る 、感覚できない心的エネルギーは、人間の意識下の深層精神(潜在意識の領域)に対して、どのように働きかけるのであろうか?
象学では、宇宙空間に律動する「(仮称)気粒電磁波」(心的エネルギー)を甲乙丙などの名称で種別することにする。

心理学者ユング:「人間は個体であるとともに、共同の無意識によって繋がれている。」

エドガード・ケイシー

エジソン:「着想は空間から来る」
高次元の空間から送られてくる知覚できない暗示
九気学では、一から九までの数と七原色との組み合わせで、一白から九紫までの名称となっている。

数」というものを考えてみよう。
物理学は単純に言えば数の弁証学であり、象学(九気学)では、数象の弁証学である。数象とは、数の意味象徴のことをいう。

ヒボッチ級数:1,3,5,8,13,21,34・・・のように、それぞれの項は、先立つ二つの項の和になっている。このような級数をヒボッチ級数と呼ぶ。 

人間の「命式」(生命構造式)
「相性」

数は活動しつつある生命。

老子の玄学思想は陰陽五行の思想に根差し、陰陽五行は東洋数学を土台として成り立っている。

「時のはたらき」および「数のはたらき」は、すなわち自然の理法である。数学は真理を求めるものであって、真理は数学によって最もよく捉えられる。

九章算術=東洋数学

九進法数学:「九」という数字を「極陽数」とする。

ウィキペディアより
  1. 方田 - 主に田畑の(年貢のための)面積計算と分数の計算。
  2. 粟米 - 交換比率の異なる商品を物々交換するための計算。比例算。
  3. 衰分 - 商品とお金との分配。比例按分。利息計算。
  4. 少広 - 面積体積から辺の長さを求める。平方根や立方根。
  5. 商功 - 土石の量などを求める土木計算。体積。
  6. 均輸 - 租税の計算。複雑な比例問題。
  7. 盈不足 - 鶴亀算。復仮定法。
  8. 方程 - ガウスの消去法による連立一次方程式の解法。また、その為の負の数とその演算規則の導入。
  9. 句股 - ピタゴラスの定理に関する問題。測量など。

天元術:算木を使って高次方程式を立て、それを解く代数を指す。

麻雀:九気学を遊戯化したもの。
花牌:四季、風牌:四方、三元牌=白板:上元の始め(一白9、緑発:中元の始め(四緑)、紅中:下元の始め(七赤)
筒子:天、索子:地、万子:人 
三六九:天の数、二五八:地の数、一四七:人の数


言葉:キーワード

時間
象学
易経
五行易

鬼谷子:王翻オウク 五行易を始める
五行易(断易) 六十四卦に十干・十二支を配し、貞卜(朴に貞うボクニトウ)した年月日に幹枝(かんし)を記入する。

五行:木火土金水
五行と玄数 土性:5・0(10) 水性:6.1 火性:7・2 木性:8・3 金性:9・4

孫子
孔明
道教:張角の太平道、張陵の五斗米道 道教→陰陽道
導引:柔軟体操、ヨガ
胎息タイソク
房中術:養精愛気
黄帝
算命学
古事記
日本の神々
風水
古鏡:般若の智慧

九章算術
算学遊戯
九進法数学
色の意味するもの
九気
偏位直観数学
鬼門
幹枝学:「陰陽・五行」の思想は、もともと植物の根に由来するものであり、「幹枝学」という名称は、それを象徴している。
朱子学
陽明学
四柱推命学:幹枝学
天源術
十干の意味
奇門遁甲
遁甲術
讖緯説 
玄学
玄関とは、老子が「玄之又玄、衆妙之門。」と説いたのにちなんで、玄妙なる道に入る門(禅学に入る緒イトグチ)を玄関というようになった。


人:キーマン

慧遠エオン:東晋時代の中国浄土教の始祖。「廬山出禅経序」で<大象みち>を説いた。



松本清張:「遊古疑考」 古事記の構成に関して陰陽五行説に結び付けて、明確に積極的に論じた学者が今までになかった、なんとも不思議である。



道元:「正法眼蔵」1240年 有時ウジ 「時間はそのままの存在であり、存在はみな時間である」

一切の存在は、すべて無限定なるものであるが、時間(時節・数)に規制せられて限定を得、秩序づけられ、調和せしめられることによって、はじめて〈何ものか〉として存在する。ゆえに、時間(時節・数)から離れて、各個人の生活は存在し得ないのである。

今までに有時の道理を明らかにした者がいないのは、時は過ぎ去るものとのみ考えているからである。要するに、世界の一切の事物は(時を軸として)連なっているのである。

縁とは時を通じて連なっているのかも。

人は時が去らないものだということを認めても、それが自己のうちにあることを理解できない。たとえ、それを理解しても、やはり空しく、真の自己を模索している。そのようなものから見れば、悟りの智慧も解脱の境地も、ただの一時的なものに過ぎないということになる。

一切の世界の事々物々が、すべて時であり一切の世界のすべてが自己のうちにある。それを自己が体験するのである。「自己が時である」というのは、このようなことである。

自己の内に、夢を実現する必要なリソースはすべてそろっている。
実現するにはどうしたらよいか、問えば答えを見出す。
何故できないのか問えば、希望通りできなくなるように答えを見出す。

「有時の而今ウジノニコン」:而今=即今ソッコン=唯今タダイマ
唯今は、昨日(過去)・今日(現在)・明日(未来)といった、分別・対立する今ではない。過去も未来もすべてを含めた時である今、仏道の現成ゲンジョウする今、真理そのものの実現する今、である。

季節と季節の移り変わりには「間」がある。時間と空間とを包み込んでの「間」、媒体としての「間」(節)、この「間」を「中今ナカイマ」と呼ぶ。

現在と未来の境界線を水平線にたとえて考えてみる。現在は一瞬で過去となり、現在という時は存在しないかのように思える。水平線も同様に、追いかけてみてもいつまでも果てがなく、幻のように思える。だからと言って現在も水平線も存在しないわけではない。水平線は現に洋上の果てに直観的に存在し、天文学の天体の高度を測る重要な基準線の一つとなっている。現在いる人間の誕生の瞬間も「素質」および「運勢」を測る重要な基準点の一つなのである。

「人間に賢愚、様々な人のあることは、天象に似ている。まことに、それは経緯(物事の筋道)というものである。(略)人物をよく知って経緯をはかることを、太宗の道という。博識の人をいうのではない。」



広成子コウセイシ:無為の道



遁甲とは、九気系統の循行(年周、月周、日周、時間)を言う。
遁甲は、陽遁と陰遁の二つの系列に分かれる。
陽遁:左に旋回 12月の冬至に近い「甲子キノエネ」日から始まって、翌年の6月の夏至に近い「癸亥ミヅノトイ」日に終わる。
隠遁:右に旋回 夏至に近い「甲子」日から始まって、冬至に近い「癸亥」日に終わる。
陽遁の法則=左旋マワリの神力 卍 神漏岐命カムロギノミコト
隠遁の法則=右旋マワリの神力 卐 神漏美命カムロミノミコト
漏とは、煩悩の汚れ(流れ)をいう。仏教の漏泄ロセイからか。



ニコライ・コズィレフ
コズィレフニコライ・) 旧ソ連の天体物理学者で時間の本質を解明する天才的な理論〈時間密度説〉 (因果性力学、あるいは非対称な力学)で有名。 彼は、ジャイロスコープやゴムひもなど簡単な道具を複雑に組み立てて、時間の性質を測定した。その結果、時間は原因のまわりでは希薄、結果のまわりでは濃密、という不思議な結論に達した。 また時間の本質はエネルギーであり、至るところに発生し、あらゆるものに連関しているという。http://yomi.mobi/read.cgi/hobby10/hobby10_occult_1190937979 (823の発言)
「時はある流れの型を持っている」

「ソ連圏の四次元科学」
コズィレフ博士は植物や動物など、すべての有機体について考えた。人間を観察しても、右半身と左半身は平衡していない。生命の基本的建材ブロックである原形質も、また対称をなしていない。すなわち非対称は生命の基本的属性なのである。「左回転系は時間流が陽性であり、エネルギーを付加し、右回転系では時間流は陰性である。」

理化学研究所 仁科研究室:宇宙線の強度は毎年七月に一番強くなり、一月から二月にかけて一番小さくなる。」



西嶋定生『秦漢帝国――中国古代帝国の興亡』(講談社学術文庫、1997年)を見ると、第六章の二「儒家思想と讖緯説」という節がある。
http://d.hatena.ne.jp/matsuiism/20100630/p1

讖緯説とは、自然の変化を説明する陰陽五行思想によって未来を予言するものである。讖(しん)と緯(い)とは、もともと別個の概念であった。讖とは、符命(ふめい)とか符図(ふと)ともよばれ、自然現象そのもの、もしくは自然現象によって出現した文字であり、それは未来を予言する内容をもつものであった。それゆえ、これを符讖(ふしん)あるいは図讖(としん)ともいった。

緯書とは経書に対していわれる用語である。儒家の古典である経書は儒家思想の大綱を示すものであるが、それだけでは宇宙の真理を説明することはできない。経とはたていとであり、これに緯すなわちよこいとを組み合わせて織物ができるように、経書に対して緯書というものがあってこそ、はじめて真理は完全に説明できることになる。そして、経書に真理の大綱が述べられているとすれば、それが未来の国家・社会にいかに現れるかということは、緯書で示されなければならない。

この讖緯説の内容が神秘主義であること、そして、これを儒家思想がとりいれたことにより、儒家はその教理として皇帝観念に接近することができるようになった。従来、儒家の君主観は王道思想であり、それは君主たるものの人格に備わっている徳によって人民を導くことを理想とし、このような徳が備わっているものを天が命じて天子とするものであった。しかし皇帝という君主は、その称号の起原が示すように(第一章第三節参照)、宇宙の主宰者である上帝が地上に出現したものであり、絶対的な権威の保持者である。この絶対的権威の根源は神秘的なものにほかならない。従来の儒家思想では、この神秘性を説明することができなかった。

ところが、儒家が讖緯説をとりいれて神秘主義と結合すると、神秘的な権威である皇帝をこの讖緯説によって肯定することができるようになった。



「天人合一」思想とは、天の道は人間規範の理法であるから、人が天の道に従い、道と一体になることをいう。

易姓革命:王朝の交替
「天地革まりて四時成り。湯武命を革め。天に順シタガヒて人に応ず。革の時は大いなる哉カナ。」

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