2011年1月18日火曜日

エンデ全集〈13〉自由の牢獄



 著書名 エンデ全集〈13〉自由の牢獄
 著者 ミヒャエル・エンデ
 出版社 岩波書店
 発表年 2002

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 著者略歴

 購入日 小平図書館
 きっかけ
 目的
 目標

目次

○遠い旅路の目的地
ボロメオ・コルミの通廊―ホルヘ・ルイス・ボルヘスへのオマージュ
郊外の家―読者の手紙
ちょっと小さいのはたしかですが
ミスライムのカタコンベ
夢世界の旅人マックス・ムトの手記
◎自由の牢獄―千十一夜の物語
○道しるべの伝説

「遠い旅路の目的地」

 主人公シリルは大富豪で貴族。しかし、郷愁、愛という感情をもたない。
ある日、ヴェネツィアの遺失物取扱所のような店を見つけた。店の看板にはヘブライ語で「さがせ、さらば見出すであろう」とあった。店主の老人トゥバールが言った。
「さがせ、さらば見出すであろう、とは、かつて一度も実在したことがない人物が言った言葉じゃ。だが、多くの民はこの人物を信じた。そしてこの人物をさがした。だからこそこの人物は実在する。そういうわけじゃ。」
「ひとは生きねばならん―死ぬことができなければ。何を望むか、ということじゃな。おまえさまは何をお望みか、ご存知かな」
シリル「ああ知っているとも、だが見つけることができないのだ」
トゥバール「困ったことじゃ。おそらく、さがし方がよくなかったのではないか」

「・・・神は楽園を造り、人間を造りたもうた。楽園を神は人間から奪われた。そこで人間は世界を造ったのじゃ、どこかに住むためにな。そうして、人間は今でも世界を造り続けている。」

「・・・人は、神が世界を造りたもうた、と言っている。しかし、この世界がどんな具合か見てごらんなされ。ごまかしや矛盾がひしめき、酷いことや暴力であふれ、強欲や、大小の、意味のない苦しみでいっぱいじゃ。そこでおまえさまに尋ねるが、公正で崇高だと人の言う神が、どうしてこのような不完全なものを造りたもうたのじゃ?人間こそが創造主なのだが、人はそれを知らぬ。知りたくもないのじゃろう。自分で自分が恐ろしいからな。理由(わけ)があることじゃて。・・・」
「自由の牢獄」より

「・・・生まれてからこれまでというのも、おまえはあれやこれやと決めたときに、理由があると信じていた。しかし、真実のところ、おまえが期待することが本当に起こるかどうかは、一度たりとも予見できなかったのだ。おまえの理由というのは夢か妄想にすぎなかった。あたかも、これらの扉に絵が描かれていて、それがまやかしの指標としておまえをだますようなものだ。人間は盲目だ。人間がなすことは、暗闇の中へとなすのだ。・・・」

「だからこそ、人が決めることはすべて、この世のはじまりから、アッラーの世界の計に前もって記されていると言われているのだ。良き決断であれ、悪しきそれであれ、愚かな決断も、賢しいそれも、おまえがおこなう決断という決断は、、まさにアッラーが全部おまえに吹き込むのだ。アッラーは盲人の手をとるように、おまえを思うままに導く。・・・」



多すぎる可能性と乏しすぎる必然性を前にして、わしの手足はすくんだ。

われらをさいなむ、無数の不確かなことから、
思うままに選べと、裁きを受けた虜囚の我ら
どうして知りつつ選ぶことが出来ようか
ゆくすえは、永久に知れぬものゆえ
ゆくすえを知れば、もはや歩みも定まる
すべては定められたるゆえ、選ぶことがまたできぬ
それゆえ、この知識は、世界の主だけのもの
主は星を司り、われらの心を御意(みこころ)のままにみちびく


すべてがどうでもよいことだからこそ、決める理由はまったくなくなってしまった。最初はわしを金縛りにしたのだが、ふたしかな結果への恐れだとすれば、最後には、何が起ころうと、どうとでもなれという無頓着な思いが選択を不可能にした。

「この上もなく慈悲深気、気高き、尊き者よ、ありがたいことだ。自己欺瞞をことごとく退治し、偽りの自由をわしから奪ってくれた。もはや選ぶことができず、その必要もなくなった今、自己意志に永久の別れを告げ、不平不満をもらすことなく、理由を問わず、あなたの聖なる御意(みこころ)に従うことがたやすくなった。・・・盲目とはわれらを導く御手。わしは自由意志という妄想を永久に放棄しよう。自由意志とはおのれ自信を食らう蛇にほかならないからだ。完全な自由とは完全な不自由なのだ。平安や知恵というものはすべて、全能にして唯一の者、アッラーのもとにだけあり、その他は無にすぎない。」

「・・・アッラーの不在もアッラーの存在なのです。至上者の完全無欠な世界には矛盾がございませぬ。たとえ、かぎりある人の知恵に、時にはそう映ろうとも。・・・」


☆「1984」の主人公の最後を思い出す。ビッグブラザーを信じ殉教していく姿を。
「道しるべの伝説」

「まだわからないのか?わしらの職分は嘘やまやかしなのだ。芸術家とはみなそうだ。画家が絵を描く。人は感動し、感嘆する。ときには沢山のお金を支払う。だが、現実には、それは何だ。一枚の画布と絵具が少々にすぎない。その他には何もない!それはただのまやかしにすぎないのだ!・・・みんな誤魔化しだ・そういうことだ!それでいいじゃないか。このようは誤魔化しが好きなんだ。・・・本当の奇跡が目の前で起こったと、人を確信させねばならないのだ。人々はそれをのぞんでいるし、わしらはそののぞみをかなえるのだ。どうすれがよいのか、わしらは知っているからな。それだけだ!」


「あの聖人と称す輩は友愛と寛容と博愛を説いた。だが、彼ら同士ではみんながいがみ合っていたし、口汚く罵り合っていて、ごますりのようにたがいに陰謀をめぐらしていた。なぜか。なぜなら、みんなだれもが、ただ一人の本物でありたいからだ。この世で一番秘密を知っている、わけ知りでいたいからだ。・・・」

「それでは先生は神様を信じないのですね?」

「わしは信じない。だが、仮にに神がいるとしよう―ふん?それなら、神はいることがわからぬようにしている。永久の神よ、神はまるでいないかのようにふるまっているのだ。神は沈黙し姿を見せない。どうやら、わしらが神様なしでやっていくようにとりはからっているらしい。このわしは誰だというのだ。神に逆らえというのか。神があたかもいないようにふるまうなら、わしもそうするまでだ。要するに、神がいようといまいと、なんの違いがあるのだ?わしらにはどうでもよいことだ。・・・」

「でも、それでは、一体この世には何の意義があるのですか」

「知るものか。それも関心もない・意義などなくとも、わしは生きてゆける。仮に、神様だけが知っている意義があったとしても、わしらの役には、まるで立たぬ。もしないとすれば、なんのために悩まねばならぬのだ?いや、マット、ここらで満足して、奇跡をさがすなどやめるんだ。わしらは偶然にこの世に生を享け、また偶然にこの世から去っていく。・・・知らぬ者は幻想をいだき、知る者は幻想をつくる。これが違いだ!ひとつだけ言っておこう。希望や良心なんぞはない方が生きやすいぞ。さあ、捨てるがよい。」


この門は
真の奇跡へと通ずる
清き心の者
通れ


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