著書名 これでも国家と呼べるのか 万死に値する大蔵・外務官僚の罪 著者 小室直樹 出版社 クレスト社 発表年 1996年 |
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購入日 2010年12月20日 小平図書館 きっかけ 小室直樹 目的 大蔵省、外務官僚の罪とは何か? 目標 |
目次 まえがき なぜ、大蔵官僚は経済学が分からないのか 1 第一章 謝罪外交は国際法違反……………………………………………11 1-無知・無学の目本の政治家・マスコミ人を告発する 致命的禍根を残した「首相書簡」 14 第一次世界大戦まで「侵略」という概念はなかった 17 韓国併合条約は明白に合法である 23 「民族自決」の意志も能力もなかった朝鮮人 27 第二章 誰がデモクラシーの敵か………………………………………41 1-中国・韓国の内政干渉を看過する“この国”の異常性 江沢民、金泳三は近代デモクラシーの敵 42 すべての自由の根本とは何か 44 外部の権力は、人間の内面に侵入してはならない 45 かくて近代リベラリズムが構築された 49 良心の自由こそ、近代デモクラシーの最終的判定条件 51 近代デモクラシーをまったく理解しない日本のマスコミ 54 日本人を奴隷扱いする中国と韓国の権力者 57 「日本は韓国でよいこともした」は正しい 58 「謝罪」外交の重大な落とし穴 61 第三章 日本官僚制―腐蝕の構造…………………………………63 ―大失敗の責任を取らない集団を許しては、国が滅ぶ 大東亜戦争の戦史研究から現代日本が見える 64 兵士は餓死、総司令官は豪遊 71 「敵前逃亡」をした陸軍エリートは裁かれたか 74 最高機密を敵に知られる大失策をしても栄転! 76 「エリートのミスは不問」の法則 80 旧帝国陸海軍同様、空気に支配されている日銀・大蔵省 87 危機に大使が任地に不在一日本外交の伝統 93 真珠湾は「騙し討ち」説は誰の責任か 96 「臨機応変の欠如」― 日本エリートの大問題 102 杉原千畝氏をクビにした外務省 105 救いがたい外務省の外交音痴 110 現代日本最大の癌-機能集団の共同体化 114 第四章 大蔵省・外務省が日本を破滅に導く…………………117 -財政危機下に海外援助を増やす国賊的行為 迫り来る目本国破産 118 歳入不足は二〇兆円、借金は三〇〇兆円 120 もはや大増税しかない 125 「累積債務」以外にも「隠れ借金」が!129 日本の財政の悪循環過程とは 131 金融スキャンダルが生んだジャパン・プレミアム 134 なぜ財政政策が効果を生まないか m 日本経済にも出現した化物-クラウディンダ・アウト 143 銀行と政府こそ不況長期化の犯人 147 不良銀行の大清算を断行したアメリカ 149 財政危機下に海外援助を増大させる大蔵省と外務省 なぜドイツはロシア援助に躍起になるか 155 近代資本主義成立の条件とは何か 160 伝統主義に呪縛された日銀・大蔵省 164 行くも破滅、戻るも破滅のロシア経済 169 日本にロシア支援を迫るアメリカ政府 172 第五章 日本経済、再浮上の原理 -根本を見忘れた対応策では、もはや枚われない 政治家も役人もエコノミストも、経済、経済学が分からない 第二次産業革命で古典派の教義は古くなったか 182 ヒックスの『価値と資本』の今日的価値 186 大前理論のどこが間違いか 188 正直-資本主義の重要な属性 193 市場を自由にしたボーダレス経済 195 なぜアメリカ国民は自由市場を求めつづけるのか 199 今こそ「自由市場へ帰れ」が説得力を持った 202 ニュージーランド経済が復興した秘密 07 規制緩和こそ、活力の源 208 なぜ、中国では市揚経済が作勤しないか 211 自由市場に隠し事があってはならない 214 「市場の失敗」のないところに規制の必要はない 救いがたい日本におけるモラル・ハサード 219 ケインズの指摘-なぜ失業が発生するのか 222 ケインズの失業対策が正しいことを証明したヒトラー 228 「反ケインズ」として復活した古典派 232 資本主義の原点に戻れ 235 現在の日本では「セイの法則」が成立していない 237 第六章 ただちに、大蔵省を解体せよ……………………243 -金融業界を自由市揚にすることこそ焦眉の急 役所の中の役所・大蔵省の構造的腐蝕 244 自己浄化機能の喪失か国を滅ぼす 247 「ロッキード事件」と「ウォーターゲイト事件」の違い 内部告発された大蔵省の“カラ出張” 251 なぜ、大蔵省が“聖域”とされたのか 256 ″お蔵入り”となった綱紀粛正 261 責任を取らなかった大蔵省のエリート官燎たち 263 霞が関に復活した伝統主義 266 日本の銀行に「リストラ」の文字はない 270 大和銀行事件が露呈したモラル・ハザード 271 「文化の違い」と言い放った榊原局長の国賊的行為 274 リスクなきところに自由市揚なし 277 不況を克服する処方箋は、これ以外にない 279 |
○すべての自由の根本とは何か 44 近代リベラリズムにおいて、最も重要なのは何の自由だと思いますか? すなわち、他の自由がどれほど不完全であっても、この自由だけは完璧でないことにはとうてい「リベラリズム」とは言えない、その自由はなんだと思いますか? 良心の自由 パウロ:外に行動は何でもよい。心の内の信仰こそが大切である。 キリスト教論理を突き詰めると、信仰だけで救済される、ことになる。 パウロ以前は、ひとは、心の内で神を信ずるとともに、そのことが外の行動にも現れないといけない、と考えられ、規範の重点が外面的行動におかれていた。 外部の権力は、絶対に人間の内面に侵入してはならない。 自由主義の最初の要求は、絶対権力に対して、信仰の自由であった。 近代国家は、つねに絶対主義であることに注意。 「主権者は、領域内においては、神が宇宙において何ごともなしうるごとくに、何ごともなしうる」(ホッブス) 主権者は、君主であり、国民(全体)であることもある。 絶対君主はイメージしやすいが、絶対人民についてはイメージしにくい。 「良心の自由」は、最初宗教の自由であったが、しだいに意識の自由に拡大された。 この意識の自由、良心の自由は日本人にとって理解困難。中国も理解していないが。 良心の自由の正反対は、洗脳。 ひとの「歴史観が間違っているから改めろ」と要求する。このことは何を意味するのか? 歴史観とは、内面における良心の問題である。 内面における意識の問題である。 他人が責任を問う筋合のことではない。 マスコミも日本人もほとんど理解せず、 「日本には間違った歴史観を抱く政治家が多い」式の投書を掲載し、同主旨の社説を発表した。 ・平成7年11月6日朝日新聞「中韓首脳会談で見えたもの」 「江藤発言にいたるまで、繰り返されてきた日本の政治家たちのゆがん歴史認識を示す発言が、こうした反応を引き起こした。事態の深刻さを深く受け止めなければならない」 ・まともな論評したのは産経新聞(平成7年11月16日)だけ 「日本が独立国家であることを無視するような中韓首脳の発言や、閣僚辞任を要求するような手法は、近代的国家関係の常識に照らしても異常である。自国の歴史から何を学び取るかは、あくまでその国の自主性にゆだねられるべき問題だからである。もともと歴史観は多様性に富むものであり、日本はその多様性を排除するような全体主義国家ではない。」 ☆ドイツでアウシュビッツを批判することを取り締まる法律が出来ている。危険だと思う。 米ソ冷戦終結後の国際法の指向は、戦争犯罪に時効なし。 フランス1964年 人道に対する罪に対する時効不適用を確認する法を制定 |
官僚システムの根本は、責任分担の役割システムにある。 各役割の責任が明確で(責任分担がはっきりしていて)、忠実に責任が果たされることが、官僚システムが作動し、その機能的要請が満たされるための条件である。 しかし、官僚制が腐食して、責任分担が不明瞭になって、無責任地帯が発生したらどうなるか。大切な責任なのに、誰の責任だか分からなくなってしまう。責任喪失である。したがって、分化された役割に振り当てられた行動はシナリオ通りに行われなくなるから、官僚システムの機能的要請は満たされなくなる。つまり官僚制がきのうしなくなるのである。 ○「誰が見ても負ける戦争」に勝つこともある 日清戦争1894-1895 日露戦争 ベトナム戦争1960-75 アフガニスタン戦争1979-1989 殷艦遠からず夏后の世にあり 詩経 ※ 歴史は、先人の失敗の記録にみちている。同じ失敗を繰り返さないためには、先人の失敗体験に学ばなければならない。 ○兵士は餓死、総指令官は豪遊 ×寺内寿一元帥 1944年フィリピン決戦 死亡者の87%が餓死者。当時サイゴンに愛人の芸妓を軍用機で呼び寄せていた。 この無責任を追求した者は誰もいない。 ×第四航空軍司令官 富永恭次中将 レイテ攻防戦以降、特高作戦に専念。 62回、約400機の特攻を敢行した。 富永軍司令官「君らだけを行かせはしない。最後の一機でも特攻をする・・・諸君はすでに神である・・・」と特攻隊が飛び立つときに訓示。最後は、部下も友軍も置き去りに、台湾へ「敵前逃亡」した。 しかし、軍法会議すら開かれず、内地に呼び戻され、予備役に編入されたのち、当時安全と言われていた満州の軍司令官として復活した。 ×連合艦隊参謀長 福留繁 中将 1944年3月31日参謀長、作戦参謀ら9名敵避難中に飛行機が不時着し米比軍の捕虜となり、4月18日釈放され帰国。このとき敵地に不時着しながら機密書類を破棄せず、「Z作戦計画」を押収された。 しかも、機密を敵に押収されながら、連合艦隊は何も対応措置をとらず、作戦を修正せず、「マリアナ海戦」6/19、「レイテ海戦」 10/24米軍に手の内を読まれ惨敗する。 福留中将に対する処分は何もなし。 ☆責任を追及することもせず、問題に対応することもない・・・ 状況に対応できない。罪の意識がない。問題意識がない。 エリートのミスは不問という悪しき慣習・・・現在も残っている 信賞必罰 竜韜にこのようなことが書いてある。 つまり、罰を与える場合は組織の上位者に対して行なった方が効果的であり、賞の場合は組織の下位者に与えた方が良いというのである。 ○危機に大使が不在 ×1990年8月2日湾岸危機 日本の駐イラク大使 片倉邦雄、駐クウェート大使 黒川剛二名とも人位置にいなかった。理由は休暇。処分なし。 当然なされるべきことが、法令の不備でなされないとき、民衆は、「天へ訴える」と称して実力行使に出る。この実力行使は、形式上は非合法でも、やはり本質的には合法であるとされることになる。英国もフランスも、この論理で多くの革命を乗り切ってきた。でも天へ訴える前になせれるべきことがある。 日本政府による二大使の処分。 しかし、実際は、黒川は駐オーストリア大使に栄転した。 ×1991年8月19日 駐ソ連大使 枝村純郎は休暇中でモスクワにいなかった。しかも、順調に昇進している。 ○真珠湾は「騙し討ち」説は誰の責任か 「一時に通告せよ」の命令に対し、一時間以上も遅れた。前日の深酒のせいで。 ×井口貞夫参事官、奥村勝蔵書記官 処分されることなく、戦後二人とも外務事務次官にまでなり、勲一等まで貰った。 ・杉原千畝氏をクビにした外務省 リトアニア領事代理 杉原千畝 ユダヤ人に対するビザ発給を拒否するように日本外務省が訓令してきた。杉原氏は人道的立場から、訓令に背いて、2000枚以上のビザを発給した。そして、戦後帰国して上司による辞職勧告により退官。 その後杉原千畝氏が鬼籍に入ってから5年後1991年、外務政務次官鈴木宗男代議士が「領事時代の杉原氏の行為を訓令違反としたのは誤りであった」と杉原氏の遺族に対して謝罪した。 なぜ杉原氏が生きているうちに外務省は謝罪できなかったのか。 その理由は、まだリトアニアが独立してスギハラ通りが出来ていいなかったからであった。世界のマスコミが、まだ、スギハラ氏の功績について騒ぎ立ててはいなかったからであった。 ☆国内でリークするより、世界にリークして話題になった方が国内に広まるかもしれない。 なぜ、日本ではエリートは罪に問われないのか? その理由は、日本においては、機能集団が共同体になっているから。 さて、この共同体である。 共同体(ゲマインデ)の社会学的特徴は何か? 二重規範(バイデ・ノルム)である。 共同体にはソトとウチがあって、ウチの規範とソトの規範とは、まったく違う。 ウチでもソトでも共通に通用する普遍的な規範。それが存在しないのが、共同体(ゲマインデ)の特徴なのである。 |
○近代資本主義成立の条件とは何か 英国古典派もマルクスの共通の誤りは、資本主義成立の条件を、技術と資本とに求めたことにある。 もっとも重要なのは、資本主義の精神である。 マックス・ウェーバーは、古代エジプト、古代メソポタミア、古代中国、古代インド、サラセン帝国、中世末のドイツ南部、中世のイタリア都市などをひろく“跋渉”した。 そして、技術も資本も充分にあって資本主義の一歩手前までゆきつつも、資本主義が開花しなかった多くの事例に突き当たった。 資本主義が発生しそうでなぜ発生しなかったのか? 資本主義の精神を欠くからである。 発展途上国に、技術と資本を援助しても、うまくいく国とうまくいかない国がある。 この違いはどこにあるのか? 根本的には、資本主義の精神の有無である。資金を経営に用いる精神がなければ、それは空しく特権階級の懐に直行するだけとなろう。企業は起こりも発展もしないのである。 資本主義の精神とは何か? 一つは、目的合理的に企業を経営する経営者の精神である。 もう一つは、かかる目的合理的企業経営に組織化された労働を提供しうる労働者の精神である。つまり目的合理的に労働する精神である。 伝統主義とは、過去に行われてきたことを、ただそれだけの理由(昨日かくありしがごとく、今日もかくあれ)で、正しいとすることをいう。 ウェーバーはこれを「永遠の過去」と表現した。 伝統主義に呪縛されているかぎり目的合理的行動はできない。 目的合理的行動とは、目的が与えられるとき、この目的を最適に達成できるように、自由に組織し自由に行動することを言う。 ウェーバーは、労働(経営)をもって救済するという宗教的転換の契機をカルヴァン派に見た。 行動的禁欲によって、経営と労働とを一種の宗教的行動とする。 山本七平は、日本では戦国末期から4代将軍の江戸時代の僧、鈴木正三(しょうさん)にカルヴァニズムの代替を見た。 一人の農民が正三に質問した。 「『仏教にはげめ』などと言われても、農民にはそんな余暇はまったくない、どうしたらよいでしょうか?」 正三の答え。 「農業即仏行なり」 フランクリン 「時は金なり」 資本主義の精神の根本の一つ ソ連には「時間」「納期」「利子」の観念がないため、仕掛品、いたるところに滞貨の山。 |
古い経済学とは何か? アダム・スミス、デビット・リカルド、古典派。 他方ケインズも含む。 官僚も政治家もマクロエコノミストも大前研一も、経済学をロクに理解していないことが問題だ。 かくなるうえは、日本人一人ひとりが経済学を理解して真のエコノミストになるほか日本経済の再活性化の道はないではないか。 本章の目的は、あなた自身をエコノミストにすることにある。 経済学を理解するために、大前氏がいかに経済学を誤解しているか、大蔵省の役人がいかに経済学を誤解しているか、そのストーリーからはじめたい。 とはいっても、筆者は大前氏を低く評価しているわけではない。それどころではない。筆者は、大前氏を現代最高のエコノミストの一人として、きわめて高く評価している。 「『金融』危機からの再生」 大前研一 ・この本の中で「古い経済理論のために、いかに馬鹿なことをやって自分の首を絞めてきたか」と言いつつ、「自由市場論者で知られるフリードマンの話をすると、いつも彼は『大前さんは私よりも自由経済論者だ』と言って苦笑いする」とも言う。 マルクス主義が宗教であるがごとく、資本主義も宗教である。 バイブルの教義を一言で要約すると、「パウロのローマ人への手紙」を要約して「ひとはイエス・キリストの信仰によって救われる」となる。 同様に資本主義の使途(アポスル)たる古典派の教義を一言で要約すれば、 自由放任、「自由市場がベスト」。 自由競争は最適を生む。 小室直樹 経済は、「政府の役割は無視できるほど小さくなる方向へ収束しつつある。 ヒックスの経済モデル: 資本主義における経済主体は、個人(消費者)と企業であり、それ以外の主体とはありえない。 サムエルソンの混合経済:政府も経済主体の一つに加える 市場原理主義者(規制撤廃)と原理的資本主義者(規制緩和)を徹底的に議論させる 自由市場とは何か? 自由市場を成立させるため六条件 1.財の均質性 2.完全情報 3.主体(需要者、供給者)の数は十分に多い 4.参入と退出の自由 5.時間はかからない 6.コストもかからない フランクリン 「正直honesty」 完全競争は生産要素を最適に配分する。 資本主義者は独占者を目の敵にする。 しかし、現実は自由競争は独占企業を形成する。 最大多数の最大幸福とは何か?その数学的意味が明白にされた。 →「最大多数」「最大幸福」とは、二重最適と言って数学的にはありえないことが分かった。数学的に可能であるのは、「最大多数の一定の幸福」か「一定数の人々の最大の幸福」か、それらのいずれかである。 パレート最適 とは、「第大多数の最大幸福」の代わりに経済学が到達した均衡点である。 クープマンスの定理とは、「完全競争市場の均衡点はパレート最適である」。 また、逆に「あるパレート最適が与えられれば、それを均衡点として持つような完全競争市場が存在する」。 完全市場は最適状態を生む。 自由市場は最も効率よい市場である。これを「市場原理」と呼ぶ。 では、ただちに「すべての規制を撤廃せよ」という結論になるのか? 「規制を撤廃すれば、すべてがよくなる」のか? →答えは、大筋においてはイエス。 アメリカのレーガンとイギリスのサッチャーは、熱烈な資本主義者であった。 そこで、大胆に規制緩和に踏み切った。 初めは経済は混乱し、破産は相次ぎ(1980年代後半にアメリカの銀行は1600行も潰れた)、怨嗟の声に満ちた。 経済は停滞し、成長率は低くなった。失業は10%前後にもなった(アメリカは一時18%台)。「規制緩和は失敗であった」とする声が高くなった。サッチャーも「経済における失敗」のゆえに失脚した、とまで言われた。「レーガノミックスは失敗であった」と評するエコノミストが頻出した。 しかし、指導者はひるまなかった。 メージャー首相もジョージ・ブッシュ大統領もサッチャー・レーガンの政策を踏襲した。規制緩和の成果が現れるのに時間がかかる。そして、最近になってようやく英米経済は地獄から蘇ってきた。 米英は第二次産業革命(情報産業、ネットワーク革命)の先頭を切って疾走し始めた。 1984年ニュージランドの労働党のロンギ首相も規制緩和政策を取った。論議首相が失脚したあと、短命の政権が続いた後、ボルジャー国民党政権は、ロンギ労働党政権の規制緩和政策を踏襲した。 1995年12月5日日本経済新聞 「規制緩和・いきいきニュージーランド」 →すり替えられた規制緩和 内橋克人 では、それほどまでの大成功か?問題はないのか? →実際に著者は平成7年末(1995年末)ニュージランドへ行ってみた。 経済学原理主義者の世界最初の経済実験は、ほぼ成功した。 よく働けば、それなりの報酬が得られると納得している労働者。 生き生きと張り切って新機軸を出す経営者。このエトスを広義の資本主義の精神と呼ぶことにする。 自由市場に隠し事があってはならない。自分の悪いところは、全部公開する。それであればこそ「これ以上は悪くはない」と信じて、各主体は目的合理的に行動が出来るのである。それゆえ、情報開示は決定的に重要である。致命的に重要である。情報開示しない企業は自由市場に参加する資格はない。 大和銀行事件が致命的である理由がここにある。 大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件 ☆情報開示:これって政治にもあてはまらないか? いまウィキリークスで情報開示がなされている。 通貨発行も規制を撤廃してはどうだろうか? 政治家の経済活動、政治活動を日時と金銭で監査し、開示する。 どんな場合に規制は必要か? →原理的でない場合 市場の失敗が起きる場合 ・生産規模を大きくすればするほど有利な産業の場合 半導体 ・幼稚産業を育成する場合 ・公共財:道路、公園 ・経済外効果:公害 自由競争はベストか? 自由競争を放任しておくと、何か悪い事は起きないか? →市場の失敗がなければ、自由市場がベスト。 我が国の最大の問題は、「市場の失敗」がありえないにもかかわらず、役人が規制にしがみついている場合である。利権、天下りの温床となっている。 古典派対ケインズの争点 古典派:市場は、必ず完全雇用へ達する ケインズ:市場は失業を生むかもしれない ケインズ「セイの法則が成立していないから失業が発生するのだ」 古典派「セイの法則がある。ゆえに。古典派模型においては失業は発生しない。」 セイの法則とは何か? 供給は需要を創造する。 GNPの大きさによって雇用の大きさが決まる。 古典派の人は失業をどう説明したのだろうか? →自由競争させておけば、すべてよし。 英国古典派の代表ピグー教授「労働市場では、労働力の価格は自由市場で決まるのではない。労働組合が干渉して、競争の結果として自由に下がることを許さない。不当に高いところに固定されてしまっている。だから失業が起こるのだ」 ケインズ「貨幣賃金率を下げても実質賃金率は下がるだろうか?」 →大不況下では物価も下がっており貨幣賃金率を下げても物価も比例して下がり、実質賃金率は変わらない。 1932年オーストリアのドルフス首相 ピグーの説に従い賃金率を引き下げた(社会民主党本部に大砲を撃ち込んだ) →失業は減らず怨嗟の声が満ち1934年ナチスに暗殺された。 ヒトラーは、アウトバーン(高速道路)やスポルトパラスト(大競技場)やら軍拡やらジャンジャン巨額の投資を増やしていった。GNPはグーンと伸び、失業は減った。 ケインズのインフレ論は簡単である。完全雇用点までインフレは起きない。物価は鎮静している。完全雇用点以上にGNPを拡大しようとするとインフレが起きる。 反ケインズ ミルトン・フリードマン マネタリストの元祖。要するに古典派である。 本質的には、何もしないで市場を自由にしておくのがいちばんよろしい。政府は、ただ、貨幣量を適当に調整さえすればよろしい。その他は何もするな。だからマネタリスト。 ルーカス 合理的期待主義者。政府は何もしないのがよい。非自発的失業者は、理論上、ありえない。すべての失業者は、自発的である。 |
田中角栄亡き後の日本では、政治家は役人の操り人形にすぎない。 役人が、立法、行政、司法の三権力を簒奪しきっている。 日本の舵取りは役人なのである。その役人が、腐蝕し腐朽しているのだから、日本よ、汝の日は数えられたり。 官僚制における構造的腐蝕とは何か? →トップは責任を取らない。 どんな失敗をしても犯罪を犯しても、トップに責任が及ぶことがない。 恐るべき無責任地帯がゆきわたる。 その由って来るところは何か? →「トップ・エリートの共同体には、その他の人びと(普通の人びと)と違った規範が適用される」からである。 自己浄化機能の喪失が国を滅ぼす 「公費天国」朝日新聞社 ・戦後の公共事業主導型経済によって官民癒着。 →古典派の自由放任とは反対の社会主義 米英の政治システムは自浄機能が高い。スキャンダルが発生しても、政治システムがひとりでに働いて、みずから除去してしまうのである。 たとえばウォーターゲイト事件1972年 会計検査院に捜査権がないため、接待の実情が掴めない。 「中枢腐敗」田中良太 アメリカの猟官の制度 中国における易姓革命 特命全権大使の任務は戦争をするかどうかを決めることだる。 →昔、通信、交通の手段が未発達なとき、王様が直接に会ってから決められるものではない。仕方がないので、全権を与えて特命した人を替わりに大使として派遣した。現代では不要である。 |
コメント アマゾンより ・今日、政治の無為、官僚の退廃と無責任により日本の国家運営システムは破滅寸前。大蔵省を潰さないと国は滅びる。自由市場こそ資本主義の原点。土下座外交の罪を問い、不況を克服する処方箋を提示。 ・15年前に警告してたのに, 2010/3/29 By sirou55 - 著者は最終章で「ただちに、大蔵省を解体せよ」と提言し、戦後軍部を解体したように徹底的に消滅させ、あらためて主計、主税、金融、証券監視などの諸機能に応じて必要とあらば新官庁を作るべきだと書いた。しかし実際は、この本が出版されて5年後2001年に財務省と金融庁に分割されただけである。予算編成権も経済財政諮問会議に移されたが、建前だけにしか見えない。 そして「規制はなるべく緩和せよ。市場をして自由に作動せしめよ。個別市場に関してはこれが大原則。しかし、日本経済全体としては、ケインズはまだ生きている。財政政策と金融政策とは正しく作動させれば有効である。ただ、政治家も役人も、経済を知らず、経済学を知らない。だから、発動する政策たるや、間違いにつぐ間違い。日本国はもう一度、奈落へ真っ逆さま。」と書いたが、15年後の今もこの体たらくだ。国力は確実に弱まっていることを実感する。 大蔵省・外務省・文部省を解体せよ。 |
リンク ・欺のひとにして欺の疾有り 論語 雍也編第六 ・諸子あえて心せずんばあらじ ? ・ ・ ・ |
2010年12月23日木曜日
これでも国家と呼べるのか 万死に値する大蔵・外務官僚の罪
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