2010年8月12日木曜日

これから正義の話をしよう









 
 著書名 これから正義の話をしよう
      ―いまを生き延びるための哲学
 著者 マイケル・サンデル
 出版社 早川書房
 発表年 2010年

 購入日 2010年7月 
 きっかけ NHK教育テレビで『ハーバード白熱教室』を見て
 目的 学校の在り方を知る
 目標 授業の仕方、考え方を学ぶ

 「正しい行い」とは何か?

 1人を殺せば5人が助かる状況があったとしたら、あなたはその1人を殺すべきか?

 金持ちに高い税金を課し、貧しい人びとに再分配するのは公平なことだろうか?

 前の世代が犯した過ちについて、私たちに償いの義務はあるのだろうか?


 つまるところこれらは、「正義」をめぐる哲学の問題なのだ。


 哲学は、机上の空論では断じてない。

 金融危機、経済格差、テロ、戦後補償といった、現代世界を覆う無数の困難の奥には、つねにこうした哲学・倫理の問題が潜んでいる。この問題に向き合うことなしには、よりよい社会をつくり、そこに生きることはできない。


 


目次

1.正しいことをする

2.最大幸福原理――功利主義

3.私は私のものか?――リバタリアニズム(自由至上主義)

4.雇われ助っ人――市場と倫理

5.重要なのは動機――イマヌエル・カント

6.平等をめぐる議論――ジョン・ロールズ

7.アファーマティブ・アクションをめぐる論争

8.誰が何に値するか?――アリストテレス

9.たがいに負うものは何か?――忠誠のジレンマ

10.正義と共通善





1.正しいことをする

 この本は思想史の本ではない。道徳と政治をめぐる考察の旅をする本だ。

 旅の目的は、政治思想史において誰が誰に影響を与えたかを明らかにすることではない。そうではなく、読者にこう勧めることである。

 正義に関する自分自身の見解を批判的に検討してはどうだろう

 ――そして、自分が何を考え、またなぜそう考えるのかを見きわめてはどうだろうと。


・2004年夏 メキシコ湾で発生したハリケーン・チャーリー

 被災地で、1袋2ドルの氷が10ドルで売られ、屋根の上の木を二本どけるだけで2万3000ドルを要求されたり、いつもなら一晩40ドルのモーテルで160ドル要求された。

 ●USAトゥデイ:嵐の後でハゲタカがやってきた

 他人の苦境や不幸を儲けの種にしようとする連中は間違っている


 ●自由市場を信奉する経済学者のト-マス・ソーウェルは、便乗値上げというのは「感情には強く訴えるかもしれないが経済的には意味のない表現で、ほとんどの経済学者がなんの注意も払わない。曖昧すぎてわざわざ頭を悩ませるまでもないからだ。
 通常より高い価格は商品やサービスを提供するインセンティブが増え、復興が速くなる。

 ☆戦争に行く新兵に経済的格差で装備に差が出る。貧乏な奴は防弾チョッキが買えない。

幸福・自由・美徳


事例

・パープルハート勲章に心的外傷後ストレス障害(PTSD)を含めるべきか?

・2008年10月ジョージ・ブッシュ大統領が大手金融会社を助けるため7000億ドルの支出を議会に求めた

 支援を受けたAIGの幹部が1億6500万ドルのボーナスを受け取った

 上位20人のうち15人が返却に応じた

・2005年6月アフガニスタンの北東部山岳地帯で決行されたレッドウィング作戦でチーム10隊員がターリバーン拠点に潜入する。ターリバーンの主要メンバーの狙撃作戦だったが、4名のSEALs隊員が100名前後のターリバーン勢の攻撃を受け、マイケル・マーフィ大尉他2名が戦死、マーカス・ラトレル二等兵曹が唯一人生還する。救出に向かったCH-47ヘリもターリバーン勢に撃墜され、チーム10指揮官含む8人のSEALs隊員と8人の第160特殊作戦航空連隊隊員が死亡する、Navy SEALs創設以来最悪の出来事となった。

 民間人を殺すと罪になる?その民間人がテロリストの手先だとしても?山上で出合った山羊飼いを見逃したことで、仲間3人と救助隊員のすべてが死んだ。究極の状況で何が正しく、何が間違っていたのか?米海軍特殊部隊の唯一の生き残りが記す戦場の真実と、国内リベラル派への痛烈な批判。

☆そもそもアフガニスタンで誰を殺せば平和になるのか?

 どうすれば勝利といえるのか?

 なぜ戦わなければならないのか?

 なんのために戦うのか?

 この戦いで儲けるのは誰か? 損するのは誰か?


2.最大幸福原理――功利主義

ジェレミー・ベンサム  1748-1832

 ベンサムは、効用の原理は道徳の科学を提供するものであり、この科学は政治改革の基盤として役に立つと考えていた。

 いかなる法律も自由の侵害である

 最大多数の最大幸福は、道徳と立法の基盤である

反論1:最大幸福原理は人間の尊厳と個人の権利を十分に尊重していない

反論2:道徳的に重要なすべてのことを快楽と苦痛という単一な尺度に還元するのは誤りだ

反論の事例

・肺がんの便益

 たばこ会社のフィリップモリスは、喫煙で医療費増加を懸念してたばこ増税を検討しているチェコ共和国に対して、チェコの国家予算に対する喫煙の影響の費用便益分析を外部に委託した。その理由は、喫煙者が生きている間は国家に費用がかかるが、喫煙者が早く死ねばその分の費用が節約できる、と考えた。

 ある評論家がこう書いた。「たばこ会社はタバコが人を殺すことを否定していたものだが、いまや殺すことを自慢している」

・爆発するガソリンタンク

 1970年代、フォード車のサブコンパクトカー、ピントのケース。この車は追突されるとガソリンタンクが爆発しやすく、この欠陥による火災事故で500人以上が亡くなり、多くの人々がひどい火傷を負った。

 被害者の一人がフォードを訴えて発覚した。フォードは欠陥について気づいており、経営陣は、費用便益分析を行い1台当たり11ドルかけて安全性を高めてもその便益(命を救いケガを防ぐこと)は費用に合わないと結論していた。

 ピントを1250万台生産したとき、180人が命を失い、180人がケガをすると予測し、亡くなった場合20万ドル、ケガをした場合6万7000ドルかかると想定し費用便益分析を行った。11ドル×1250万台=1億3750万ドル>(20万+6万7000)ドル×180人=4806万ドル

交通事故死のコストは政府の幹線道路交通安全局の数字を使った。


ジョン・スチュアート・ミル  自由論 1859年

 人間は他人に危害を及ぼさないかぎり、自分の望むいかなる行動をしようとも自由であるべきだ。

功利主義1861年

 満足した豚よりも不満足な人間である方が、また満足した愚か者よりも不満足なソクラテスである方がよい



 多数の人がある小宗教を嫌っていて、それを禁止しようとするとき、ミルは個人の権利を尊重するのではなく、社会全体の効用から小宗教を擁護することを支持している。

 「一つ断っておきたいことがある。効用とは関係ない抽象的な権利という概念から、私の議論に役立つものを引き出すこともできるだろう。だが、私はそれに訴えることはない。効用こそがあらゆる倫理問題の最終的な拠り所だと考えているのだ。だがその効用は、進歩する存在としての人間の恒常的利益に基づく、最も広い意味での効用でなければならない。」

 反論

 自由が社会に利益をもたらすというミルの考察は、一見すると実にもっともらしい。しかし、個人の権利について、人を納得させる道徳的基礎を提供するものではない。それは少なくとも二つの理由がある。
 第一に、社会の進歩のために個人の権利を尊重するのだとすれば、権利も偶然の産物だとなってしまう。専制的手段によって一種の長期的幸福を達成する社会に出くわしたとしてみよう。功利主義者は、こうした社会では個人の権利は必要ないと結論せざるをえないのではなかろうか。
 第二に、功利主義的な考えを権利の基礎におけば、個人の権利の侵害が、全体の幸福をいかに高めようと、それは個人に不正をはたらくことだという感覚を捉えそこねることになる。一般的でない教義の信者を多数派が迫害することは、そうした不寛容がやがて社会全体に悪影響を及ぼすかどうかにかかわらず、その信者を不当に扱うことではないだろうか。


 世間や身近な人びとに自分の人生の計画を選んでもらう者は、猿のような物真似の能力があれば、それ以上の能力は必要ない。
 自分の計画をみずから選ぶ者は、あらゆる能力を駆使する。

 

3.私は私のものか?――リバタリアニズム(自由至上主義)

フリードリッヒ・A・ハイエク 自由の条件

ミルトン・フリーマン 資本主義と自由 選択の自由

ロバート・ノージック アナーキー・国家・ユートピア



4.雇われ助っ人――市場と倫理

5.重要なのは動機――イマヌエル・カント

6.平等をめぐる議論――ジョン・ロールズ

7.アファーマティブ・アクションをめぐる論争

8.誰が何に値するか?――アリストテレス

 アリストテレスにとっての政治の目的は、目的にかかわらず中立的な権利の枠組みを構築することではない。善き市民を育成し、善き人格を要請することなのだ。

 あらゆる都市国家(ポリス)は、真にその名にふさわしく、しかも名ばかりでないならば、善の促進という目的に邁進しなければならない。さもないと、政治的共同体は単なる同盟に堕してしまう・・・・・・。また、法は単なる契約となってしまう・・・「一人ひとりの権利が他人に侵されないよう保証するもの」となってしまう――本来なら、都市国家の市民を善良で公正な者とするための生活の掟であるべきなのに。

 政治の目的は、善く生きる術を学ぶことだ。
 人々が人間に特有の能力と美徳を養えるようにすることだ。
 共通善に熟慮し、実践的判断力を身につけ、自治に参加し、コミュニティ全体の運命に関心を持てるようにすることだ。

☆いまの世の中とまったく逆でびっくりする。

 社会全体よりも自分だけが良ければいい
 今の美徳はもっぱら利益主義で、モラルとか世のため人のためという人には偽善に感じる
 共通善よりも一部の組織の利益を追求している。判断をできるだけさせず、自治でなく服従、コミュニティに参加している意識はなく、できるだけ遠ざかり関心も持たないようにする

 1.考えさせない。判断させない。反応的対応をさせる。
  責任を取るような言動をしないようになる。自分の意見でなく、他の引用、誰誰が言っていた、と言う。「あなたはどう思いますか?」という質問には、引用をしたり、はぐらかしたりする。考えない人とは会話がなりたたない。とにかく知っていることを沢山しゃべった人が偉くて頭がいいと思っている。官僚のような対応が身に付いている。頭がいい官僚は本当は自分の考えがあり、わざと表にださないが、一般の人は考えもなく、考えていないことにも気づいていない。
 こうすることによって多数決を制することができる。
 2.情報の入手経路を限定させ、情報でコントロール。別の情報は嘘と信じ込ませる。
  マンガや小説を読むと馬鹿になる。ネットは嘘ばかり。大手や実績のあるところ以外はデタラメを言う。
 3.社会とか地域社会とかに興味をもたせず、参加させず、自分だけの趣味にできるだけ集中させる

 アリストテレスは、国家よりもゆるい共同体である防衛協定や自由貿易協定などの有用さも認めている。だが、その種の共同体は真の政治的コミュニティと同等ではないと明言している。
 なぜだろうか?
 目的が限られているからだ。NATOやWTOといった機関は、安全や経済交流だけにかかわる。参加者の人格を形作る共通の生き方を制定するわけではない。
 安全と貿易のみに関心を寄せ、成員の道徳的・市民的教育には無頓着な都市や国家にも、同じことが言える。

 「結びついたあとの交流の精神が、個別の道を歩んでいたときと変わらないならば」、その共同体は真の都市国家、政治的コミュニティとはみなされないとアリストテレスは述べている。

 「都市国家は、同じ場所に住むための共同体ではないし、集団的不正を防ぐためや交流を容易にするための共同体でもない。」

 「都市国家の目的と目標は善良な生活であり、社会生活の制度はそのための手段である。」


 「こうした共同体に最も貢献する人たちは、すぐれた市民道徳を持つ人たちであり、共通善について熟慮するのに最も長けた人たちだ。」

 ペリクレスのような人
 「アテネでは政治に関心を持たない者は市民として意味を持たないものとされる」

 


9.たがいに負うものは何か?――忠誠のジレンマ

10.正義と共通善



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