2010年8月19日木曜日

スピリチュアリズム入門











 
著書名 スピリチュアリズム入門
著者 スピリチュアリズム・サークル「心の道場」 
出版社 
発表年 2008年

画像 
著者略歴
 
購入日 ネットで読める
きっかけ 「神との会話」を批判していた 
目的 スピリチュアルとは何か?
目標 スピリチュアルの事例を知る

目次
* はじめに

第1部 「スピリチュアリズムの歴史と歩み」

* 第1章 死後の世界へのアプローチ……宗教から近代心霊研究へ
* 第2章 スピリチュアリズムの出発点……“フォックス家事件”
* 第3章 初期のスピリチュアリズムの歩み……驚くべき心霊現象の現出と、近代心霊研究の展開
o (一)空中浮遊――霊媒者ホームとクルックス博士
o (二)物体移動・物体浮遊――エクトプラズムの存在
o (三)物質化現象――幽霊現象
o (四)物品引き寄せ現象(アポーツ)
o (五)心霊治療(スピリチュアル・ヒーリング)
o (六)スピリチュアリズムにおける心霊現象の本質と意義
* 第4章 霊界通信……スピリチュアリズムにとって最も重要な心霊現象
o (一)霊界通信の登場と、霊界通信に対する科学的研究
o (二)霊界通信のメカニズム
o (三)霊界通信の信憑性
o (四)代表的な霊界通信
o 〈補足――“チャネリング”について〉

第2部 「スピリチュアリズムの霊的知識と教え」

* 第1章 人間の構造と霊魂観
o (一)肉体と霊体の重複構造
o (二)幽体離脱とシルバーコード
o (三)霊的意識と潜在意識
o (四)地上人の心と霊肉関係
* 第2章 死の瞬間と死の直後の様子
* 第3章 幽界(地上に近い霊界の最下層)
o (一)幽界の様子と生活
o (二)幽界の生活への飽き
o (三)自分自身の心がつくり出す暗黒地獄
* 第4章 霊界(本格的な霊の世界)
o (一)霊界の界層――霊的成長レベルによる厳格な住み分け
o (二)地上の愛のゆくえ――霊界での「男女愛」と「家族愛」
o (三)霊界の環境――想像を絶する躍動的な極美の世界
o (四)類魂(グループ・ソウル)としての歩み
* 第5章 永遠の霊的成長の道
o (一)地上人生の目的――「魂を成長させること」
o (二)霊的成長を促す「利他愛の実践」
o (三)地上への再生と、類魂としての共同成長
o (四)地上圏霊界から宇宙圏霊界へ
* 第6章 高級霊による地球人類救済の大事業
o (一)暗黒の地上世界
o (二)霊界の高級霊による救済活動の開始
o (三)スピリチュアリズムによる新しい時代の到来

* おわりに


事例

・コナン・ドイル:
 「枚挙に暇(いとま)がないほどの著名人が、多くの時間と情熱を注いで確立した見解を“ナンセンス”だの“たわごと”だのといった、ぞんざいな言葉で片付けていられる時代は確実に去りつつある。今まさにスピリチュアリズムは、これまで以上の証拠を出そうと思えばあふれるほど出せるし、それに対する反証をいくら持ち出しても、ことごとくその人の重荷となっていく段階に立ち至っている――証拠、証拠としつこく要求する人ほど、実はそれまでに出されている膨大な証拠をまじめに検討していない人たちである。」


・一八四八年、アメリカでのフォックス家事件

・ウィリアム・クルックス
 この「空中浮遊」において心霊研究史上、最も有名で際立った能力を発揮したのが、スコットランド生まれの米国人D・D・ホームです。彼はトランス状態のまま、ビルの三階の窓から出てしばらく空中に浮遊してまた窓から帰ってくるという、常識では考えられないような離れ業をやってのけました。しかもそれを白昼堂々と、何人もの人間が見ている前で、何回も(百回以上)行っているのです。ホームは他のあらゆる心霊能力にも力を発揮しています。ホームによる空中浮遊が事実である以上、聖書の中の“イエスが水の上を歩いていた”という記述も単なる作り話ではなく、現実であった可能性が考えられるようになります。

・シャルル・リシェ


※――エクトプラズムの研究の箇所で紹介した、ノーベル生理学賞受賞者でスピリチュアリストであったリシェは、クルックス博士が心霊現象を肯定する実験結果を公表した時点では、まだスピリチュアリズムに反対する立場をとっていました。クルックス博士を尊敬していたリシェは、博士が心霊現象を肯定したというニュースを耳にしたとき、「博士ともあろう方が何ということを……」と嘆いたと言われます。そしてクルックス博士が物質化したケーティ霊の写真を公表し、しかもその物質化霊には脈拍があったという報告書を読んだときには、「いかに尊敬申し上げる高名な物理学者とはいえ、私は声を出して笑ってしまった」と告白しています。

 しかし、そのリシェも、一八九二年、イタリア人霊媒ユーサピアによる心霊実験会に委員として出席し、驚異的な心霊現象を目のあたりにして圧倒されることになります。そしてそのとき彼は、「神よ、私が間違っていました!」と叫んで、これまでの懐疑的な態度を一変させることになりました。


・チャップマンの霊体手術

 ラングという霊界の治療者(霊医)が、イギリス人心霊治療家「チャップマン」の肉体を一時的に支配し患者を治療します。チャップマンはトランス状態に入っているので、その間の出来事は覚えていません。その治療方法は、主に患者の幽質結合体に対しての直接的な心霊手術です。幽質結合体とは、地上人が地上生活を送る間にだけ存在する霊体と肉体の中間体であり、肉体と同じ形をしています。肉体の一部に異常があると、幽質結合体の同じ部位にも異常が生じるようになります。霊医がこの異常部分を取り除くと、肉体の異常が治るようになります。チャップマンの治療では、患者の治癒力が低下しているときには、まず初めに霊的エネルギーを患者に注入することを行っています。


・トニーの心霊外科手術

 フィリピン人「トニー」の心霊手術は、チャップマンの幽質体への手術と違って、患者の肉体の患部を直接取り出すというものです。手術はトニーが手刀(てがたな)で肉体をなぞると、まるでナイフかメスで切ったかのように肉体が開きます。そしてトニーはその切り口から素手を体内に突っ込んで患部を取り出します。患部を取り出した後、彼が手でなぞると切り口はきれいにふさがり跡形もなくなります。手術の最中、患者はほとんど痛みを感じることはありません。


・ハリー・エドワーズの心霊治療

 イエスが地上時代に行った以上の病気治療をしたと絶賛され、スピリチュアリズムの歴史上最も有名な心霊治療家が、イギリス人「ハリー・エドワーズ」です。彼の治療では、医学で“不治”と宣告された患者の八十パーセントに何らかの好転が見られ、そのうち三十パーセントの人が完治しています。心霊治療を依頼した患者の多くが現代医学に見放されていたことを考えると、ハリー・エドワーズの治療実績は驚異的と言えます。


・カール・ウィックランドの除霊治療

 米国の精神科医師「カール・ウィックランド」は、スピリチュアリズムに関心があり、自分で交霊会を催していました。あるとき霊界側から一つの提案がなされました。それは、「ウィックランドが扱っている精神病患者の大半が低級霊による“憑依(ひょうい)”が原因となっているので、その憑依霊を患者から引き離して妻アンナに乗り移らせ、しゃべらせる。その憑依霊に博士が応対して実情を聞き出し、目覚めさせてやって欲しい」というものでした。霊界側は、アンナの身の安全は保証すると言い、全面的な協力を約束しました。そうして始めた「除霊治療」は実に三十年にわたって続けられ、おびただしい数の精神病患者が癒され正常になりました。それと同時に、患者に憑依していた霊たちも救われることになりました。


・エドガー・ケイシーのリーディング治療(霊界からのアドバイス治療)

 二十世紀のアメリカ人霊媒者として、「エドガー・ケイシー」は最も広く知れわたった人物でした。一九四五年に亡くなるまで、何百万人もの患者が彼の診断を求めてやってきました。彼が横になってトランス状態に入ると、彼の意識を支配した霊が患者の体を透視して診断と処方について語り出します。この霊界からの助言によって、多くの患者の病気が治癒しました。ケイシーのリーディング治療の治癒率は、きわめて高かったのです。


病気が治ることよりも、霊的覚醒の方が大切

 後述する「シルバーバーチ」という高級霊が、世界的に著名な心霊治療家ハリー・エドワーズに対して、次のように述べています。



 「魂に霊的悟りをもたらせることこそ心霊治療の真髄だからです。身体的障害を取り除いてあげても、その患者が霊的に何の感動も覚えなかったら、その治療は失敗したことになります。もしもなんらかの霊的自覚を促すことになったら、その治療は成功したことになります。」

霊的自覚をもたらすこと方が、病気を治し悩みを解消してあげることより大切です。」



○近代心霊研究の究極の目的とは――「霊魂説」の証明と啓蒙

 これまでの内容をもう一度まとめてみると、高級霊がわざわざ手の込んだ心霊現象を引き起こしてきた目的は――地上の人間に「死後の世界があること」「人間は死んでも霊魂として生き続けること」を教えるためでした。すなわち「霊魂説」を証明することが、その目的だったのです。

 真摯な態度で心霊研究に取り組んだ科学者は、例外なく霊魂の存在を認めるようになりました。しかしその一方で、せっかくの心霊実験への参加要請を無視し、研究成果に目をつぶり続けた者たちもいました。そうした人間に対してコナン・ドイルは、次のように言っています。

 「これほどの心霊研究の報告書を読んで、なお猜疑心が消えないようでは、その人間の頭が少しおかしいのではなかろうか!」

コナン・ドイルは一時期、SPR(イギリス心霊研究協会)に所属していたことがありましたが、最終的にSPRを脱退しました。それはSPRが、いつまで経っても霊魂の存在を承認する正式な態度を公表しなかったからです。するとこれに同調して八十三名が脱退し、その後、SPRは全く精彩をなくしてしまうことになりました。


心霊現象から霊的真理へ――“スピリチュアリズム”の次なるステップアップ

 霊界通信


代表的な霊界通信

・スウェーデンボルグの『霊界探訪記』



・リンカーンと霊界通信



・アラン・カルデックと『霊の書』『霊媒の書』

 『霊の書』に示されたスピリチュアリズムの思想の特徴は「輪廻再生」です。



・ステイントン・モーゼスと『霊訓』

 霊媒者モーゼスは、オックスフォード大学神学部に学んだ英国国教会の牧師でしたが、二十九歳のときに重病を患いスピーアという医師に世話になったのがきっかけで、霊的能力を発揮するようになりました。モーゼスは一般の霊媒者のようにトランス状態に入らずに、通常意識を保ったままで「自動書記通信」を行うことができました。彼の腕がひとりでに動いて、インペレーターからの通信文が綴られたのです。

 ところが霊界側から送られてくるものは、キリスト教の教義と真っ向から対立する内容で、従来のキリスト教の教義を根本から覆すようなもの(*原罪の否定・イエスの贖罪の否定・三位一体の否定)であったため、モーゼスは猛烈に反発します。霊界側と地上の牧師モーゼスとの間に激しい論争が、ほぼ十年近くにわたって続くことになりました。その間、モーゼスのあまりの頑(かたくな)な態度と既成のキリスト教への固執に、霊界側は一時総引き上げの直前にまで至っています。しかし最後には、さすがのモーゼスも霊界側の見解を認め、受け入れるようになっていきました。

一八八三年に『霊訓』として出版 “世界三大霊訓”の一つ



・オリバー・ロッジと息子レイモンド霊


・マイヤース霊からの霊界通信『永遠の大道』『個人的存在の彼方』


・ウィリアム・ステッドからの霊界通信『ブルーアイランド』


 英国人ジャーナリストで心霊研究家であった「ウィリアム・ステッド」は、すでに他界していたジュリア・エイムズという友人からの通信を自動書記によって受け取り、それを『死後――ジュリアからの音信』のタイトルで出版し、大反響を巻き起こしました。



・霊媒モーリス・バーバネルと『シルバーバーチの霊訓


 一九二〇年頃、ロンドンの青年実業家「モーリス・バーバネル」に、トランス状態下でインディアンなまりの英語をしゃべるという現象が起きるようになりました。最初のうちは、たまたまバーバネルの家に集まっていた三、四人の知人がそれを聞くだけでしたが、やがて当時の英国ジャーナリズム界の法王的存在であったハンネン・スワッファーが訪れているときに、その現象が起きました。霊界からのメッセージを聞いたスワッファーは、その通信内容の次元の高さを直感し、毎週一回、自宅で定期的に交霊会を行うことを提案しました。こうして世紀的な交霊会「ハンネン・スワッファー・ホームサークル」が始まることになったのです。






◎「霊の心」と霊的意識

 死によって肉体を脱いで霊体だけになった人間(霊)は、あの世(霊界)で、どのような状態で存在するようになるのでしょうか。「唯物主義」に立脚した現代医学では、人間の精神活動や思考は、すべて“脳”によってなされていると考えています。しかし肉体の死とともに脳はなくなっても、人間は死後の世界で、生前と全く同じように精神活動をしています。

 この霊的事実は、人間のさまざまな精神活動や思考は脳によってなされているのではなく、霊体の中で行われている、ということを示しています。霊体の中には、思考をつかさどる心のような部分があるということなのです。霊体の中には、高度な思考をする心が存在します。これをスピリチュアリズムでは「霊の心」と呼びます。私たちの思考の多くの部分が「霊の心」によってなされています。言い換えれば、私たちは霊的世界(霊的領域)で、広範な思考活動をしているということなのです。

 では“脳”は、いったい何のためにあるのでしょうか。脳はどのような働きをしているのでしょうか。脳の一番の役目は、霊の心の意識(*これを「霊的意識」と言います)の受信機であるということです。霊の心で発生した「霊的意識」は、脳という物質(肉体)の受信機を通して地上人に伝わります。霊的意識は、脳を通過した後に自覚されるようになります。これが脳の受信機としての役目なのです。

 脳は、まさにラジオの受信機のようなものです。「霊の心」という放送局から送られてくる情報(霊的意識)を受信する機械なのです。もし、この受信機が故障したり極端に性能が低下すれば、当然、霊の心からの情報を受信することができなくなります。これが“脳障害”による精神障害・意識障害なのです。


◎顕在意識と潜在意識

 現代の心理学では、顕在意識(日常、我々が自覚する意識)の深部に、それとは別の日常では自覚することのない潜在意識があることに気がついています。実はこの“潜在意識”とは、スピリチュアリズムで言う「霊の心の意識(霊的意識)」のことなのです。地上にいるかぎり、霊の心の意識は“脳” を中継して、初めて自分の心(意識)として自覚されるようになっています。

 しかし「霊的意識」のすべてが地上人に自覚されるというわけではありません。霊的意識は脳という物質の受信機を経るため、そのほんの一部分だけが伝わるようになっています。大部分の内容は、伝わらないままなのです。私たちが日常、自分の意識だと思っているものは、実は霊の心の意識(潜在意識)のごく一部分にすぎません。その意味で、私たち地上の人間は本当の自分自身の姿(心)を知らない、ということになります。

 催眠術や瞑想法などによって脳の受信感度が高まると、潜在していた霊の心の意識内容を思い出すことがあります。霊の心には、地上時代のすべての行動や思考が記録されています。私たちがとっくに忘れてしまった過去の出来事や、前世に関する情報まで、事細かに記録されています。


地上人の心を形成する二つのソース

 自分の内に心があることは、誰もが認めざるをえません。自分の心の存在を自覚していない人間はいません。では、その心はどこから発生しているのでしょうか? 心はどのようにして形成されているのでしょうか?――この質問に正しく答えることができる人はいません。心は誰もがその存在を実感しているにもかかわらず、最も謎に満ちたものなのです。これまで心は、思想上の重要なテーマとされてきましたが、現在に至るまで明確な見解は示されてきませんでした。“スピリチュアリズム”は、この難解なテーマについて人類史上、初めて明らかな答えをもたらしました。

 それは私たち地上人は、別々のソース(発信源)から発信された別々の意識を「一つの心」として感じているという重大な事実です。地上生活で私たちが「心」として自覚するもの(顕在意識)は、脳を経て届けられた「霊の心の意識(霊的意識)の一部」と、脳から発生する「本能的意識」の二つから形成されているという心の秘密を解明したのです。



心の中での「霊と肉の闘い」

 「霊の心」は、もともと利他的指向性を持っています。一方「本能」は、すでに述べたように利己的指向性を持っています。このように全く相反する指向性を持った二つの意識が一つの心をつくり上げているため、心の中で激しい葛藤・対立が生じるようになります。「霊の心」に従って、より高い価値的な生き方をしたいと思うようになると、必然的に心の中で本能的思いと対立するようになります。これが古来より言われてきた「霊と肉の闘い」です。

 利他的で清らかな世界を求めれば求めるほど、利己的な本能的思いと葛藤せざるをえなくなります。こうした霊と肉の葛藤は、肉体を持つ地上人にとっては、避けることができない宿命と言えます。



○宗教における修行の本来の目的

 宗教における修行の本来の目的は、この「霊主肉従」をいかにして確立するか、ということに集約されます。



○間違った宗教の影響力の大きさ

 また生前、宗教によって“死”に対する間違った知識を身につけてしまうと、死の自覚に決定的なマイナスの影響を及ぼすことになります。周りの霊たちが、すでに死んでいることを教え、地上時代の宗教の間違いを正そうとしても、一切受け入れることができません。その結果、長い期間、地縛霊として地上近くに留まり続けるようになってしまいます。

 シルバーバーチの交霊会で、地上時代に受けた間違った教えのために魂の進化が阻害されている霊のことが話題になりました。それに対してシルバーバーチは、次のように述べています。

「“最後の審判日”を待ちながら、死体の埋葬されている墓地で暮らしているクリスチャンの霊がいるというのは、事実その通りです。それが私たち霊界の者にとっての厄介な問題の一つなのです。

 教会で聞かされた通りのことが本当に起きるものと信じ切っているものですから、自分からその考えに疑問を感じるようにならないかぎり、傍(はた)からはどうしようもないのです。“死ねばガブリエルのラッパが聞こえるまで墓地で待つもの”という信念を全生涯を懸けてつくり上げてきているわけですから、その信念が崩れないかぎり、いつまでもその牢獄から抜け出られないのです。そうした人間に“もう死んで霊の世界にきている”という事実を信じさせることがどんなに難しいか、皆さんには理解できないでしょう。“復活の日まで待ちます”と言って、その場から離れようとしないのです。」



○心の中が、周りの人々に知られる

 幽界では、心の中身(本音)が周りの人々に知られるようになっています。そこでは、自分の心を隠すことはできませんし、過去の行為を隠すこともできません。人目を欺(あざむ)くために仮面をかぶることもできません。幽界では、地上生活につきもののウソ・偽善・タテマエは一切通用しなくなります。

 ウソつき・偽善者は、恥ずかしくなって皆と一緒に住めなくなります。そして自動的に人々との交わりを避け、低くて暗い所へ行くようになります。そこで同じような人間と一緒に生活するようになるのです。

◎宗教で言われてきたような地獄世界は存在しない

 結論を言えば、これまで宗教で言われてきたような地獄の概念は正しくありません。教訓的目的から説かれた地獄の様子は、その多くがフィクションであり、事実とは懸け離れています。従来の宗教で説かれてきたような、限定された特定の地獄という場所は存在しません。ダンテの『神曲』やスウェーデンボルグの著作、また仏教の説話の中で述べられているような、天国に対峙する世界としての地獄は存在しません。

 では、霊界には暗く醜い場所(境界)はないのかといえば、そうではありません。実際、地獄と言ってもいいような醜悪な場所・暗黒の場所があるのです。地獄を「邪悪で醜い悪人が集まる所」と定義するならば、地上に最も近い幽界の最下層の一部が、それに相当します。幽界の下層には、現実に“地縛霊や低級霊”が集まっている醜い境域(世界)が存在します。そこには魂の中身が極悪で、利己性がきわめて強い者がたむろしています。いつまでも地上的感覚を拭い去ることができず、享楽・快楽に耽溺(たんでき)したままの醜悪な霊たちが大勢いるのです。そうした醜い心の持ち主の思念は、醜い環境をつくり出します。当人たちには、それが一番心地よく感じられるのですが、外部から見れば、そこは暗く醜悪性に満ち満ちた“暗黒地獄”となっています



 本人自身が“進歩したい”という欲求を持つようになるまでは、たとえ高級霊といえども導くことはできません




◎シルバーバーチ霊の語る霊界の美しさ

 しかし、そのシルバーバーチに敢えて霊界の様子を語ってもらうことにしましょう。シルバーバーチは霊界の美しさ・素晴らしさを、次のように感動的に述べています。

 「あなた方は、まだ霊の世界の喜びを知りません。肉体の牢獄から解放され、痛みも苦しみもない、行きたいと思えばどこへでも行ける、考えたことがすぐに形をもって眼前に現れる、追求したいことにいくらでも専念できる、お金の心配がない、こうした世界は地上の生活の中には譬えるものが見当たらないのです。

 その楽しさは、あなた方には分かっていただけません。肉体に閉じ込められた者には、美しさの本当の姿を見ることができません。霊の世界の光、色、景色、木々、小鳥、小川、渓流、山、花、こうしたものがいかに美しいか、あなた方はご存じない。

 人間は死んではじめて真に生きることになるのです。あなた方は自分では立派に生きているつもりでしょうが、私たちから見れば、半ば死んでいるのも同然です。霊的な真実については死人も同然です。なるほど小さな生命の灯(ともしび)が粗末な肉体の中でチラチラと輝いてはいますが、霊的なことにはいっこうに反応を示さない。霊の世界は人間の言葉では表現のしようがありません。譬えるものが地上に見い出せないのです。

 すでに死んで霊界にいる者の方が、生命の実相についてはるかに多くを知っています。住民の心には真の生きる喜びがみなぎり、適材適所の仕事に忙しく携わり、奉仕の精神にあふれ、互いに己の足らざるところを補い合い、充実感と生命力と喜びと輝きに満ちた世界です。

 ここは光と色彩にあふれ、芸術の花咲く世界です。この世界に来て芸術家は、地上で求めていた夢をことごとく実現させることができます。画家も詩人も思いどおりのことができます。本来だれもが持っている天才的才能を、存分に発揮することができます。地上の抑圧からきれいに解放され、天賦の才能が他人のために使用されるようになるのです。

 インスピレーションなどという仰々しい用語を用いなくても、心に思うことがすなわち霊の言語であり、それが電光石火の速さで表現されるのです。地上の芸術家が、最高のインスピレーションに触れたといい、詩人が恍惚(こうこつ)たる喜悦に浸ったといっても、われわれ霊界の者から見れば、それは実在のかすかなるカゲを見たにすぎません。

 金銭の心配がありません。生存競争というものがないのです。弱者がいじめられることもありません。霊界の強者とは、弱者に救いの手を差し伸べる力がある、という意味だからです。失業などというものもありません。スラムもありません。利己主義もありません。宗派も経典もありません。あるのは神の摂理だけです。それがすべてです。

 地上のいかなる天才画家といえども、霊の世界の美しさの一端なりとも地上の絵の具では表現できないでしょう。いかなる音楽の天才といえども、天上の音楽の旋律の一節たりとも表現できないでしょう。いかなる名文家といえども、天上の美を地上の言語で書き表すことはできないでしょう。

 そのうち、あなた方もこちらの世界にこられます。そしてその素晴らしさに驚嘆されるでしょう。あなた方は地上の大自然の美を見て感嘆されますが、その美しさも、霊の世界の美しさに比べれば至ってお粗末な、色あせた模作程度でしかありません。地上の誰ひとり見たことのないような花があり色彩があります。小鳥もいれば植物もあり、小川もあり山もありますが、どれ一つとっても、地上のそれとは比較にならないほどきれいです。

 そのうちあなた方も、その美しさをじっくりと味わえる日がきます。その時、あなた方は霊になっているわけですが、その霊になった時こそ、真の意味で生きているのです。」


◎「類魂」という共有意識・共通意識の発生

 この霊的グループでは、さらに驚くようなことが起こります。そこにいるメンバーの心が文字どおり一つとなってしまうのです。こうしたことは地上時代には想像することさえできませんでした。地上では、自分は自分、自分の考えは自分のもの、自分の心は自分のもの、というのが常識でした。自分は自分、他人は他人という区別は、地上では当たり前のことでした。時には仲のよい夫婦や男女が“あなたと私は一心同体”と言うことがあっても、それは単なる比喩であって、言葉どおりそれが実現するとは考えられていませんでした。

 ところが霊界の霊的家族の中に入ると、その地上の大常識が覆されることになります。霊的家族の中では、「あなたと私は同一の人間」というような奇跡が発生するようになります。「自分の心」が「他人の心」と一つになり、相手そのものになってしまうのです。「心の融合化・心の一体化」という、地上では絶対に考えられなかったような出来事が現実のものとなるのです。

 霊界の霊的家族の中では、それぞれの心が融合化・一体化して「大きな意識体(心)」をつくり上げることになります。メンバー全員の意識(心)が一つに融合して「大きな共有意識体・大きな共通意識体」を形成するようになるのです。これを「類魂(グループ・ソウル)」と言います。地上では、自分の意識が他人の意識と融合して一つになるというようなことは決してありませんが、霊界ではそうした奇跡のようなことが実際に起きるのです。霊界の低い界層では二十人くらいの霊が集まって類魂を形成し、高い界層ではその数がずっと多くなって、何百、何千という霊たちが一つの類魂(共有意識体)を形成するようになります。広大な霊界には、こうした類魂が何億、何十億と存在しているのです。

 類魂の中では、「他人の心」が私の心と一つになって「私の心」となります。何十人ものメンバーの心が「私の心」となります。「私の心は皆の心、皆の心は私の心」というような状態になるのです。その結果、「私の心」はそれ以前では考えられなかったような「大きな心」となり、「大きな意識体の一部」となるのです。




◎地上人生の目的――「魂を成長させること」

 しかし現在の地球上には、「自分の心(魂)を成長させることが、自分の人生の目的である」と断言する人はめったにいません。


○霊的成長を促す「利他愛の実践」

・霊的成長のバロメーターは「利他愛」

・宇宙と霊界に遍在する「神の愛」

・「神の愛」の本質――完全な利他性・無償性

・霊的成長とは、「神の愛」を身につけていくこと


◎利他愛実践の重要性を、シルバーバーチは次のように述べています。

 「宇宙に存在を与えたのは神の愛です。宇宙が存在し続けるのも、神の愛があればこそです。全宇宙を動かし、全存在を支配しているのも神の愛です。その愛の波長に触れた者が、自分の愛する者だけでなく、血縁によって結ばれていない赤の他人へも手を差しのべんとする同胞愛に燃えます。愛は自分より不幸な者へ向けて、自然に手を差しのべさせるものです。

 全生命の極致であり、全生命の基本であり、全生命の根源であるところの愛は、よりいっそうの表現を求めて、人間の一人ひとりを通して地上に流れ込みます。

 好感を覚える人を愛するのはやさしいことです。そこには徳性も神聖さもありません。好感のもてない人を愛する――これが魂の高さを示します。あなたに憎しみを抱いている人のもとに赴くこと、あなたの気に食わぬ人のために手を差しのべること、これは容易なことではありません。確かに難しいことです。しかし、あなた方は常に理想を目標としなければなりません。

 かわいそうにと思える人に優しくする、これは別に難しいことではありません。気心のあった人に同情する、これも難しいことではありません。が、敵を愛する、これは実に難しいことです。最高の徳は利他愛です。愛すべきだから愛する、愛こそ神の摂理を成就することであるがゆえに愛する、愛するということ以外に表現の方法がないから愛するまでです。

 神は無限なる愛であり、自己のために何も求めません。向上進化の果てには、己のためには何も求めず、何も要求せず、何も欲しがらぬ高級霊の世界にたどりつきます。ただ施すのみの世界です。


 我欲を捨て、他人のために自分を犠牲にすればするほど、内部の神聖がより大きく発揮され、あなたの存在の目的を成就し始めることになります。真の愛は、人のために尽くし、人を支え、人を慰めんと欲します。愛は慈悲、同情、親切、優しさとなって表現されます。愛はまた、滅私と犠牲の行為となって表れます。

 愛の真の意義を悟るのは霊の世界にきてからです。なぜなら愛の本質は霊的なものだからです。愛は魂と魂、精神と精神とを結びつけるものです。神の顕現なのです。互いが互いのために尽くす上で、必要ないかなる犠牲をも払わんとする欲求です。愛は己のために何も求めないのです。」


●地上を支配してきた二つのガン

 霊的無知に陥っている現在の地上世界には、二つのガンが存在します。一つが「物質中心主義」、そしてもう一つが「利己主義」です。この二つのガンによって地球人類は霊的世界から切り離され、物質の中に閉じ込められ、霊性発揮の道が閉ざされています。この二つのガンは、多くの地球人類の人生を無意味なものにするだけでなく、地球全土を悲劇の蔓延する地獄さながらの世界に陥れています。戦争(人殺し)・貧困・飢餓・犯罪―こうしたものはすべて「物質中心主義」と「エゴイズム(利己主義)」から発生しているのです。



※地上の宗教は、すべて失格  →排他的、狭量、偏見

 地球人類の霊的進化には、地上の宗教が大きく関わっています。しかしこれまでの宗教は、最低限の霊的知識や霊界の実情さえ、正しく人々に伝えてきませんでした。それどころか霊的事実から懸け離れた、子供だましのような教えを強制的に押し付け、人々を“霊的牢獄”の中に閉じ込めてきました。宗教は人類の霊的成長を促すどころか、反対に霊的成長を妨害してきたのです。霊界から見たとき、地球上のすべての宗教は失格です。


 さて、本書のもう一つの目的は、優れた霊訓を読む前の予備知識を皆さん方に提供することです。スピリチュアリズムの歴史や霊的背景のあらましを知った上で霊訓に触れていただけば、いっそう深く内容を理解することができるようになります。その意味で本書は、霊訓を読む前の“ウォーミングアップ”のための本と言えます

コメント

リンク

・スピリチュアリズム

・心霊主義

・チャネリング

・ニューエイジ

・ハドソン・タトル

・ イギリス心霊研究協会

・世界三大霊訓:『シルバーバーチの霊訓』、アラン・カルデックの『霊の書』、モーゼスの『霊訓』

・不思議に思われるかもしれませんが、シャカ本来の教えには、霊魂とか霊界といった“永遠的実在”は存在しません。 第1章 死後の世界へのアプローチ より

 ☆輪廻転生があり、釈迦がどこで永遠的実在がないと言っているのだろう?




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